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2008年3月アーカイブ

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人間の視覚能力はすごい。
ほんの一瞬で他人の性別はもちろん、年齢、職業、性格や気分までも判断し推測してしまう。
人それぞれ感じ方は違うだろうが、私の感覚ではほんの0.2〜0.3秒ぐらいで判断していないだろうか。
気にとまったとしてもせいぜい2秒ぐらい。
東京での通勤時には多くの人が何千もの人とすれ違う。
だがほとんどが気にも止めずすれ違っていく。
そんな中で、例えば今朝の話題になるぐらいの人はどれ位いるだろう。
よほどのことをしない限り見過ごす存在だ。
デザイン、特に広告分野では目立たないと人は振り向いてくれるはずもない。
広告なんて全く興味ないし、皆忙しく日々を生きているのだ。
広告を見てくれている、というのは制作者側の幻想に過ぎない。
そこからスタートしなければ何も生まれない。

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近くの代々木公園の桜が咲き始めた。
澄み切った空とのコントラストはとてもきれいで繊細で、改めて日本を感じる。
そう言えばこの時期、一般の大学合格通知のメッセージは「サクラ、サク。」
私の行った大学では、南国らしく「クジラ、ツレタ。」だった。
通知を見てほっと胸をなで下ろしたのと、南国らしいなと思ったことを思い出す。
メッセージには「らしさ」が大切なのだろう。
その人らしさ、企業らしさ、商品らしさ。
それはメッセージに味をつけてくれ、何年も経った今でも鮮明に思い出させてくれる。

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若い時は内面よりも外見ばかり格好つけがちになる。
お金も経験も少ないから当然と言えば当然のことで、私もその一人だった。
タバコをくわえ中古のバイクをカスタムして乗り、洋服の安さを競い合った。
しかし、格好つけるにしてもそのつけ方の頃合いがあった。
これ以上やったら全く格好悪いでしょ、という一定のライン。
格好いいと格好悪いは紙一重だ。
デザインもそのラインを超えるととたんに格好悪くなる。
いかにも私はデザインしてます、という見え見えのライン。
電車の中吊りなど見ていると残念ながらそれらが目につく。
クライアントがこれでOKを出したとか、デザインを見せないとお金にならないとか、
いろいろ言い訳が聞こえそうだが、それも全部ひっくるめてデザイナーの責任だ。
格好悪いデザイナーにはなりたくない。
デザインもほどほどにいきたいものだ。

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おやじの定義とはいったい何だろう?
60歳でも若々しい人もいれば、30歳ぐらいでも行動やしぐさによって随分おやじっぽい人もいる。年齢とは直接関係ないようだ。
人それぞれ見方は違うだろうが、例えばつまようじのシーハー、45°下を向いたお腹のベルト、また女性を見る目つき。
時々振り返ってまで若い女性を見ている人を見るとおやじだなと思う。
何か統計がある訳ではないが、そんなおやじと小さい頃平気で鼻をたらしていた子供とは実はリンクしているのではないかと思う。
どちらも共通しているのは他人からどう思われようが一切関係ないといった行為。
案外そんなおやじ達は小さい頃は平気で鼻をたらしていた子供だったかも知れない。
いや、きっとたらしていたはずだ。

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デザイナーは資格のいらない職業だ。
ではいったいどこからが本当のデザイナーとして成立するのだろうか。
名刺を作って「私はデザイナーです。」と言った時からか、あるいはデザインフィーをもらった時からだろうか。
いずれにしても誰でも簡単になれる職業であると言える。
でもね、勘違いするといけないのはフォトショップやイラストレーター(ソフト)が使えることと、デザイナーとして成立することは全く違うということ。
それは表現をする道具にすぎない。
時々MacデザイナーとかDTPデザイナーという肩書を見ると笑ってしまう。
「私はコンパスデザイナー」とか「私は蛍光ペンデザイナー」と言っているようなものだ。

何よりも大切なのはつくり続けること。5年より10年、10年より20年というように。
私はデザインの職についてまだ19年。
ベテランと言われるかも知れないが真のデザイナーというのはまだもっと先にある気がしている。
もっと上手な真のデザイナーになっていきたい。
上に登るも立ち止まるのも自分次第だ。

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