デザイン事務所 ブランディング・ロゴマーク制作会社 デザインエイエム

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2008月05月 アーカイブ

雨が降ると気分が落ち着く。少し変かも知れないが嵐の前などはワクワクしてくる。
基本的に私は水や海が大好きなようだ。海の中なんて最高に気持ちいいし。
昨年インドに行った時はコップ1杯の水で朝のすべての用事(洗顔からトイレまで)を済ませないといけなかった。
水はとても貴重なのだ。
話は変わるが、このタイトルは25年前にヒットした村下孝蔵「初恋」の歌詞。
最近もまたカバーされヒットしている。
彼は9年前46歳という若さで逝ったらしいが「初恋」は今でも語り継がれている。
私も残るものをつくりたい。大げさかも知れないが私が死んでも残る何か。
ふり返った時にたった1つでも、あれ(仕事)つくった人だよね、と。
心に残るもの。できればキュンとなるような。

業界内ではあたりまえのように手がけた仕事(制作物)のことを作品と言ったりしている。
「代表作は?」と聞かれることもたまにある。
「作品?」私はどうもこの表現に違和感がある。
単純に私が発注者の立場だったらイヤだなと思う。
クライアントは数百万とか時には数千万という大金を用意し覚悟を決めて発注するのだ。
自腹でお金を払って作る自主制作物なら何と言おうが構わないと思うが、私は軽々しく「作品」という表現は自らしないようにしている。
それらはクライアントのものであり、手がけさせていただいた仕事。
クライアント始め、プランナー、ディレクター、コピーライター、フォトグラファー(カメラマン)、デザイナーなどいろいろな人が携わるものなら尚更だ。
それからね、代表作って何?そんなもの高々10年や20年で見つかるものじゃないでしょ、と思っている。

有名女子アナウンサーが自殺したらしい。
最近日本では自殺他殺の話題が絶えない。親が子を子が親を殺すこともめずらしくない。
一方先日中国の震災報道で、コンクリートに挟まれたまま一人の男性が訴えていた。
「貴女がそばにいてくれるだけで他に何も望まないと僕の彼女に伝えて」と。
その男性は救出されて間もなく息をひきとったそうだ。
自殺はアカンで。(他殺も無論)
何で?って。それは次に幸せが必ず待っているから。
苦しんでいる当の本人はそんなこと信じられないよね。
でもね、本当に本当なんだ。
物事は思い一つで良い面、悪い面どっちも受けとめられる。
今僕らは息もできる。ご飯も食べられる。身体に大抵不自由もない。言葉もわかる。
屋根付きの家で寝られる。親はじめ心配してくれる人もいる。道に迷わず会社や学校の行き来もできる。
批判はしないが甘えない方がいい。
命が欲しくてたまらない人、食べたくても食べられない人はたくさんいるのだ。

東京芸術大学美術館で開催しているバウハウス・デッサウ展へ行ってきた。
初公開146点を含む日本では13年ぶりの貴重な展覧会。
デザイン関係の人なら誰でも知っているだろうドイツのバウハウス。
その活動は1919年からナチスの閉校に追い込まれるまでわずか14年間だったが、
今でも私たちのデザインや生活に影響を与えている。
個人的に感じたのは、物がない時代(大量生産が始まる前)の創意工夫とデザインの尖ったところ。物が豊かになり過ぎた今の自分たちは随分甘えているんじゃないかとはずかしい気にもなった。
今は地球環境があちこちで悲鳴をあげている時代。
少し大げさかも知れないが、デザイナーのエゴで地球環境を汚してはいけないと思う。
http://www.bauhaus-dessau.jp/

最近では「KY」なんて言葉が流行っている。
日本人は「右へならえ」が好きだし、「出る杭は打たれ」やすいからだろうか。
私はそれを面白がるところあって、ラチのあかない会議で「オレがやる!」と言ったり、あるクライアントでの重役会議で机をたたき上げ席を立ったこともあった。(若気のいたり←やや反省)
周りから見ると「勇気あるね」「よく言った!」「まずいんじゃないの?」という行動だったらしいが、自分では意外とけろっとしている。
つまらないのは「KY! KY!」と口ばかり言ってて何もしないヤツ。
私はKYであろうが何であろうが、そこで行動をおこすヤツの方がいいと思っている。
もっとKYになりたいと思う。

若気のいたりで学生時代ラグビーをやっていた。
ラグビーは15人全員がオフェンス、時にディフェンスになるハードなスポーツだ。骨を折る奴も何人かいた。
最初はバックス、後半はスクラムハーフという司令塔的役割だった。
僕らの仕事もまたそれぞれ担当はあるにせよ、チームプレーと言える。
designamは今9人のチームだ。
攻めと守りどちらが欠けてもチームとして成立しないし、そのバランスも大切なのだ。
試合で言うと、今どのあたりだろう。
45分ハーフとしておそらく前半の30分にさしかかる頃。
少し中だるみしやすい時間帯かもしれない。
若干の点は獲っているものの、まだまだトライしないと勝てる見込みはない。
前半ホイッスルまであと15分+ロスタイム。
これからどこまで攻められるかがポイントだ。
今から守りに入る場合じゃない。

残念ながら、人は見かけで判断し行動している。
それを私が強く感じるのは、首都高速を走っている時。
国産小型車の時は、道をなかなかゆずってくれないのはもちろん、ひどい時は「道をあけろ」と言わんばかりに、パッシングをしてくるやつもいる。
それに対し外国産普通車だと全くそれがなく、むしろ道をゆずってくれたりするのだから笑ってしまう。
私は昔から上から目線が大嫌いで、パッシングなんてされた時には自然とヤンキースイッチが入る。
一旦道を譲りそれが時速140kmでもベッタリ車間2mにつけパッシングを同じようにして差し上げる。(未だにガキのままだ)
相手が大きなベンツであろうが関係ない。そういうカン違い野郎(女性も)に限って派手な真っ赤な車だったりする。
でもそれらのほとんどが目をそむける臆病者だ。
すべてがそんなやつとは思いたくないが、知人の社長もはやり同じ経験をしているところを見ると、やはり人は見かけで判断していることは事実なのだ。

デザインの仕事は、既に作られた商品を多く売るという性質のものではなく、すべてが受注生産のフルオーダーメイドだ。
世の中の企業や商品に似ているものはあるにせよ、同じモノは1つもない。そこで発生する課題や問題点もすべて違うものだ。それに加え時代も刻々と変わっていく。
これはとてもいいデザインだからと、一度しまったモノを再び机に広げて使ったためしもない。(中にはあらかじめ何色かのパレットを用意しておいて、ここから選んでねというスタイルの人もいるかも知れないが)
入り口が違えばアウトプットは当然違うものになる。
今僕らが取り組んでいる仕事は、実は二度と出会うことのない貴重なものなのだ。
一生に1回だけの仕事。
そんな思いで今日も目の前の仕事に取り組みたい。

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